製作時の苦労話
取締役工場長(当時)
小松克也
建築鉄骨以外の一物件で、120トンを超す製缶物は一生に一度あるかないかの仕事。私も子供に自慢が出来る仕事だと思い製作にあたりました。
アンカーフレームから製作を開始し、M48 x 長さ2500ミリ x 48本をフレームに組み込み溶接。見たことがないM48のアンカーボルトの太さにびっくりしました。
ベースPLの加工は厚さ100 x φ5000ミリ、X型開先で4か所溶接、歪みがこないようバンドリング、500ミリ幅の所に2リングを仮組みして本溶接をしました。
1月の厳寒期で予熱後熱の温度管理に気を遣いましたが、割れや歪みは起こらずほっとしました。
模型の胴部分は51メートルを7ブロックに分割し、下段から厚さ25・19・12・9・6・4.5ミリの数種類の板を最大幅2,438 x 長さ12,700ミリの1枚板でロール加工し、3~5枚繋いだ1ブロックにしました。
本溶接は、古いラジアルボール盤を改造したアームの先にトーチを固定し、電流電圧を調整後にターニングロールでの回転を監視して、厚さ25と19ミリは内面全周6層盛りました。
外面はセラミックタブを貼り、裏波溶接し溶接ビードは自動車と同じ塗装なので全線グラインダーによる平滑仕上げでした。これら製作塗装は弊社工場内で実施しました。
運搬は県内に1台しかなかった特殊なタンク台車で7回に分けて運搬しました。
弊社を早朝夜明け前に出発。
台車の荷台部の高さは150ミリですが、製品の最高部で4,370ミリあります。宇都宮環状線の南警察署アンダーパス通過時は天井が高い方の内回り側を通行止めにしてもらい慎重に通過しました。その天井までの隙間は30ミリ足らずでした。
また、歩道橋も1か所あり、止まるような速度で通過しようと試みましたが、製品が橋と接触してしまうと判断し、全タイヤの空気圧を抜いて通過しました。その際の隙間はわずか15ミリしかありませんでした。
現地建方は下段より160トンと45トンのクレーン2台で共吊りして組立し、最上段接続時は51メートルの物件が建つということで、500人以上の見物人が集まりました。
約1か月、私も製作責任者として建方全てに携わり、鳶職人と完成まで毎日朝寒い時間から日暮れまで付きっ切りでした。
仮組みをしなかった製品が現場でピタッと合った時は感無量でした。
このように試行錯誤しながら大変な思いをして取り組んだ製作ではありましたが、私の人生においてこれほどの遣り甲斐と経験を与えてくれた仕事はありません。
当時の設計図
ロケット銘板